ThinkD
トップ›TOP RUNNERS›新しい価値を世に出すには? Vol.1
TOP RUNNERSVol.1

株式会社はね

ドロップアウトから時代の本流へ。

就職氷河期での挫折・ドロップアウトという「遅れ」に対する強い焦りから、「インターネット×PR」という独自のポジションを見出した矢嶋聡氏。知名度が皆無だったネイバージャパンへの参画からLINE、メルカリの急成長をPRの最前線で牽引してきた同氏に、コアなファンのつくり方や時流の捉え方、社会とのギャップを埋める戦略的PRについてお聞きしました。株式会社はねの矢嶋代表とディプコア代表の水野による対談、Vol.1です。

2026.10.15
ドロップアウトから時代の本流へ。
矢嶋 聡

矢嶋 聡

株式会社はね 代表取締役

早稲田大学政治経済学部卒業。ネットベンチャー2社でマーケティングに従事した後、ニューヨーク留学、PR会社勤務を経て、2008年にネイバージャパン(後のLINEヤフー株式会社)に入社。「NAVER」「LINE」のPR・マーケティング統括や日米同時上場のコミュニケーションをリード。2017年のメルカリ入社後は、グループ広報責任者として現金出品問題などのリスク対応や新規事業立ち上げなどの広報を総括。2023年3月にメルカリを退社し、同年6月に株式会社はねを設立。

詳細はこちら
水野 歩

水野 歩

株式会社ディプコア 代表取締役CEO

法人営業としてキャリアをスタート。神戸支社長・中国の現地法人副社長・本社営業部長などを歴任し、年間社長賞・社長賞特別賞・ベストマネージャー賞などを受賞。人材紹介会社に転籍後、日系スタートアップやグローバル日系企業に特化した人材紹介部門を立ち上げ、個人でも年間売上1位・年間決定数1位を獲得。2017年に株式会社ディプコアを設立。中小企業診断士、事業承継士。現在は転職エージェント事業だけでなく、自社プロダクトやメディアの立ち上げや運営も兼務している。

詳細はこちら

はじめに

水野 :矢嶋さんにお会いするのは、本当に久しぶりですね。以前のやり取りを見返してみたら、もう15年ぶりくらいでした。


矢嶋 :めちゃくちゃご無沙汰しています。よく覚えていてくださいましたね(笑)。


水野 :覚えているに決まってるじゃないですか(笑)。いまや広報・PRの業界ですごい知名度だと思いますし、ずっとお話したいと思っていました!今回は広報やPRの仕事だけに閉じずに、「まだ広く知られていない新しいものやサービスを、いかに世の中に出していくか」をテーマに、矢嶋さんのこれまでのキャリアをなぞりながらお話を伺えればと思っています。どうぞよろしくお願いします。


矢嶋 :こちらこそ、よろしくお願いします!


キャリアの原点──いかに「他者と差をつけるか」の模索

水野 :まず最初に、大学時代のお話から伺いたいです。当時はインターネットサークルに所属されていて、起業も考えていたとお聞きしています。そこからどのように最初のキャリアを選ばれたのか、教えてください。


矢嶋 :そうなんです。ずっと広報やPRの仕事をしてきたと言われることもありますが、実は最初のキャリアは違うんです。私が就職活動をしていた時期は、ちょうど就職氷河期でした。当時の価値観としては、「大学を卒業したら大企業に就職するのが当たり前」という時代だったのですが、私は就職活動がうまくいかなくて。社会に出る最初のところで、ドロップアウトしてしまったんです。

そこで、大学時代にインターネットサークルをやっていた経験が活かせる道を探しました。結果として、新規事業でインターネット事業を立ち上げるという中小の編集プロダクションに入社し、マーケティング担当としてキャリアをスタートしました。といっても小さな会社だったので、マーケティングも、営業も、雑用も、何でもやっていました。

ただ、新規事業がなかなかうまくいかず、1年ほどで退職しました。その後、大手広告代理店などのジョイントベンチャーに第二新卒として入社しまして、そこでもマーケティングを担当していたのですが、少しして会社を辞め、留学しました。


水野 :最初からPRというわけではなく、いろいろキャリアには悩んでおられたんですね。


矢嶋 :その通りで、迷宮入りしていました(笑)。まわりの友人たちが大手の商社や銀行、メーカーに就職して、エリートコースを進んでいるのに、自分はそんなに有名じゃない会社に入り、1年で辞め、転職した会社も辞めて留学するということをしていたので、「みんなと比べてかなり遅れているな…」という焦りや挫折感を当時すごく抱えていました。

大企業であればジョブローテーションなどで会社がキャリアをつくってくれますが、私の場合は自分でつくるしかないなと。

だからこそ、20代のうちは「どうやって他の人に差をつけるか」「どうやって自分だけのキャリアを築くか」そんなことばかり考えていました。社会に出たタイミングで差がついていたので、他の人と同じことをやっていても勝てない。

そこで思いついたのが、大学時代からのインターネットの知識や新規事業の経験と、新しく学び始めた「PR」という領域を掛け合わせることでした。

当時は「専門性が欲しい」と思って会社を辞めて留学したタイミングでした。本当は海外の大学でMBAを取りたかったのですが、思うように受験勉強がうまくいかず、「日本でずっと準備を続けるよりも、行ってしまったほうが早いな」と思ったんです。英語もちゃんとしゃべれない状態だったので、勢いだけで決めました。賭けでしたが、何か行動しないと変われないなと思って。

留学先はニューヨークだったのですが、昼間は語学を学び、夜はニューヨーク大学の社会人向けのプログラムに参加して、マーケティングや経営の勉強をしていました。そこで、PRの講義を受ける機会があり、講師が「今後、PRはマスメディアを対象とするだけでなく、デジタルメディアを使った戦略が重要となる」という話を聞きまして、「インターネット×PR」という掛け合わせなら、他にはないポジションをつくることができるんじゃないかと思いついたんです。


水野 :帰国後にPR代理店を経て、2008年にネイバージャパンに入社され、その後にネイバーのイベントで初めてお会いしたんですよね!懐かしいです。ネイバージャパンは後に検索の「NAVER」やキュレーションサービスの「NAVERまとめ」で有名になりますが、当時の認知度はほとんどゼロに近い状態だったと思います。入社した理由を教えてください。

矢嶋 :一番の理由は「人」です。PR代理店で働いていたときに、中国の検索エンジン「百度(バイドゥ)」の日本参画に向けたPRコンペがありました。そのコンペには負けてしまったのですが、当時百度の日本事業責任者をしていた舛田淳さん(現:LINEヤフー上級役員)と連絡を取り合うようになって、定期的に食事に行くようになりました。

その後、舛田さんが「今度NAVERという韓国の検索サービスの日本立ち上げをやるから、一緒にやらないか」と誘ってくださいました。立ち上げが成功するかどうかはまったくわからなかったのですが、舛田さんの考え方や仕事のスタンスが素敵で「失敗したとしても舛田さんと仕事をした経験が残るならいいか」と考えました。


水野 :ほかの選択肢はなかったのですか?


矢嶋 :実はそのとき、別の大手外資系検索会社の面接も受けていました。ただそこはちょっと違うかもと思いました。というのもその会社のスタンスが、「優れた技術やテクノロジーがあれば、それは自然と世の中に広まっていく」という考え方だったので、コミュニケーションやPRよりも技術ファーストの印象を持ちました。それ自体は何も悪いことではないのですが、それだと私が入社したとしても活躍できないと思ったんです。

一方でネイバーは知名度が皆無。しかも、当時は韓国や中国のブランドが日本に進出する際にイデオロギー的なことも含めてネガティブなイメージを持たれることもあるビハインドの状況でした。

そうした「弱者」だからこそ、戦略を練り、コミュニケーションの力を駆使しなければ絶対にうまくいかないと思いました。リスペクトする舛田さんのもとで、ビハインドな状況に対してコミュニケーションの力を試す。そんな環境のほうが自分らしい仕事ができると思いましたし、この無名の状況からチャレンジするからこそ自分のトラックレコードになる可能性もあると思いました。そして、他の人との差別化にもつながるだろうと考えて決めました。


未認知・新概念の「新しいもの」を世に出すための戦略

水野 :当時私は『NAVERまとめ』『Nドライブ』『pick』などのユーザーで、NAVERの大ファンでした。LINEが世に出る前にデモを見させていただく機会があって、あの頃から勝手にずっと応援しています(笑)。

あと当時の話で特に印象に残っているのが、当時のTwitterなどSNS上でユーザーから改善要望の声があがったら、それをすぐにキャッチして24時間以内に「直しました」と返信する仕組みがありましたよね。結果、指摘をしてくれた人たちが感動して、それをきっかけにNAVERに入社したり。ファンをつくるためのすごく良い仕組みだと思って見ていたのですが、あれも矢嶋さんが仕掛けられたのですか?


矢嶋 :よく覚えていますね(笑)。あの取り組みは、舛田さんと一緒に取り組んだものになります。

前提として、2009年にNAVERのサービスをローンチし、『NAVERまとめ』などのサービスをリリースしていったのですが、すでにGoogleやYahoo!が圧倒的なシェアを持っている市場でどう戦うかを考えていました。手っ取り早く認知を獲得しようと思ったら、一番良いのはTVCMです。本社もお金はあるのでできないわけではない。ですが、一時的に認知度が高まったとしても使い続けてくれるユーザーが残らないよね、という話をしていました。

だからこそ、手堅くコアなファンをちゃんとつくろうと考えたんです。韓国のサービスだからとか、日本では知られていないサービスだからとか、そういうのは関係なく、「このサービスいいよね」「この会社を応援したいね」と思ってくれるコアなファンと関係性を築き、彼らを中心に情報が広がっていくメカニズムを戦略の柱にしようと舛田さんと話をしました。


水野 :ユーザーの声をもとにしたファンづくりの成功事例だと思います。その後、LINEのアプリが広まっていった背景には、東日本大震災の後の人間関係の変化を踏まえて「時流に乗せた発信」があったかと思います。このあたりの意思決定はどのように進んだのでしょうか?


矢嶋 :順を追ってお伝えすると、NAVERのサービスを開始して差別化を図ろうとしたものの、やはりGoogleやYahoo!の牙城を崩すのは難しく、撤退すらちらついている状況でした。世の中的にはガラケーからスマートフォンへのデバイスシフトが来るタイミングです。

こういうパラダイムシフトが起こるときは競争のルールが変わるので、「スマートフォンに特化したプロダクトをつくれば一発逆転があるんじゃないか」と考えました。当時社内ではカメラ・ゲーム・コミュニケーションというテーマでそれぞれプロジェクトが走っていました。

LINEはそのなかのひとつでしかなかったんです。当初は特別に注力しているものではありませんでした。でも、震災が起きて「安否確認の連絡が取れない」という現象が起きた中で、「LINEのようなサービスを求める波が来るんじゃないか」ということで、舛田さんや当時の役員が「LINEに集中する」という意思決定をし、約3ヶ月でリリースしたんです。


水野 :世の中の状況にうまく合わせたということですか?


矢嶋 :まさにその通りです。同じものを出したとしても、あのときの時代の空気感じゃなければ広まらなかったと思います。時代の空気にあっていたからこそ、いろんなメディアが取り上げてくれましたし、口コミで広まっていきました。時流に乗るというのは、PRにおいても非常に大きい要素だと思います。


水野 :LINEの広がりの後、2017年にはメルカリに入社されましたね。当時、メルカリ入社後すぐに経営陣全員にインタビューされたそうですが、どのような内容だったのでしょうか?


矢嶋 :当時のメルカリはサービスの急成長によって歪みが出てきた時期でした。現金出品や不適切な出品などが連日報道され、四面楚歌のような状態でした。当時、会社として社会と向き合わなければいけないフェーズに入っていたんだと思いました。

その状況で、経営陣に「いまの会社が世間からどう見られていると思いますか?」ということ、「本当はどう見られたいですか?」ということを聞いて回りました。いまの見られ方と理想の見られ方には必ずギャップがあります。そのギャップを、コミュニケーションでどのように埋めるかを考えることが私の仕事なので、まずは全員の認識を確認しました。自分たちがどう見られたいのかを理解しないと、魂の入った広報施策にならないですから。

水野 :マイナスをゼロに戻す取り組みは胆力がいりますね。一方で、プラスの動きとして、まだ世の中に価値が理解されていないものを正しく広めていくという役割はどんな難しさがあるのでしょうか?


矢嶋 :そうですね。新しい事業やこれまでとは違う概念を広めるには、単にプレスリリースを打つだけではメディアや社会には届きません。

たとえば、ある新興エンタメ企業の支援をしたときのエピソードがあります。ビジネス層や大手メディアからは、「まだニッチなサブカルチャー」として捉えられがちだった領域でしたが、本来はグローバルでも十分な競争力を持つ新たなコンテンツ領域でした。そこで、海外拠点の設立を発表する2ヶ月前に記者向けの勉強会を事前開催しました。

いきなり発表会をするのではなく、「なぜいま、この市場が伸びているのか」「どのような社会的価値があるのか」という前提となる情報や文脈を、個社の話をする前に、記者のみなさんに正しく理解してもらうための土台をつくったんです。

その結果、発表時には単なるベタ記事(※)ではなく、市場の背景まで深く捉えた質の高い報道へとつなげることができました。世の中の認知不足というギャップを埋め、市場そのものを再定義することも、広報PRの重要な役割だと思います。

(※)ベタ記事:主に紙面の一番下に配置される記事のこと。記事の幅が数行から1段程度で、非常に短いことが多い。

この記事をシェア