はじめに
日本の基幹産業でありながら、深刻な労働力不足に直面している建設業界。63兆円もの巨大市場であり、現場を管理するプロフェッショナル人材の高齢化が進み、労働力の供給が追いつかない構造的な課題を抱えている。
近年、多くのスタートアップが現場のDXを掲げ、業務効率化のためのSaaSプロダクトを投入してきた。しかし、どれほど優れたツールであっても、建設業界の目線になると、外部からのIT投資として導入し、使いこなすまでには大きなコストと労力がかかる。ツールで業務の一部を改善するだけでは、産業全体の労働力不足という根本的な問題を解決するのは、かなりの難易度だと言えるだろう。
こうした「変革が難しい業界の構造」と「SaaSモデルの限界」が交差する現代において、株式会社クアンドは独自の生存戦略を取っている。2017年の設立以降、建設や製造といった現場産業向けの遠隔コミュニケーションツール『SynQ Remote(シンクリモート)』を展開。成長を重ねる一方で、2024年12月にはリアルな建設会社である株式会社南都技研のM&Aを行った。
同社は単なるソフトウェアベンダーとしてツールを提供するだけでなく、自社で建設会社のオペレーションそのものを保有。そこにテクノロジーを直接介入させることで、労働力そのものをアップデートするユニークな事業モデルを構築。福岡・北九州の地から、実業とテクノロジーが融合した新たな産業のあり方を提示することに挑戦している。
今回は、バスケットボールに打ち込んだ学生時代、シリコンバレーでの経験、大手企業やコンサルで培った論理的思考を経て、家業と向き合う中で独自のモデルに行き着いた下岡代表にインタビュー。起業の背景や起業後の痛烈な失敗、SaaSの成長モデルから舵を切った決断の舞台裏、そして新たな産業創造の可能性についてThinkD単独でじっくりお話をうかがった。
シリコンバレーで受けた衝撃と手にした起業の原点
─────まず簡単にご自身についてお聞きできればと思います。幼少期や学生時代のことから教えてください。
福岡県の北九州市の出身です。建設業を営む家庭に生まれました。祖父が広島から北九州に疎開してきて創業した会社です。最初は下駄屋をしていたのですが、高度成長期にインフラ整備が盛んになり、そのタイミングで現在の建設業に転換しました。
その家業を父が引き継ぎました。私は長男として生まれ、妹が二人います。当時の北九州は少しヤンチャな空気感で、まわりにも元気の良い友人が多い環境でした。
そんな中で、中学生のときにバスケットボールに出会いました。そのときに指導してくださった先生が、いまでは全国的にも有名な強豪校の指導者なのですが、非常に厳しい指導スタイルでした。すごくキツかったものの、練習すればするほどうまくなり、どんどんバスケに夢中になっていきました。
高校を卒業するまでは文字通り「バスケ一色」の生活で、勉強をするのはテスト前くらいでした。バスケをして、テストを受けて、またバスケをして、という感じであっという間に高校生活を終えました。
大学進学を考える時期になり、進路の決め方について考えました。バスケのようなスポーツでは、地域の大会を勝ち抜き、県大会があり、全国大会に進むというようにステップアップしていきますよね。そのため、「大学でこれを学びたい」という明確な目標はなかったのですが「とにかくレベルの高い大学を目指そう!」と決めました。そして、九州大学に進むことにしたんです。

─────九州大学となると相当な難関だと思います。スポーツ漬けだったということでしたが、どのように合格を掴み取られたのでしょうか?
確かに難関ではあるのですが、私の場合はバスケの経験をそのまま活かすことができました。
バスケに打ち込んでいたときは、目標を決め、その目標を達成するために「いま何をしなければいけないか」を逆算し、あとはそれを徹底的に実行して結果を出すというプロセスを経験していました。それをそのまま受験勉強に当てはめたんです。結果として、目標通りに九州大学に合格できました。
大学では理学部で宇宙について学びました。就職活動をして、東京の大企業から内定をいただいた後に、私にとってひとつの大きな転機がありました。
大学の掲示板で「アメリカに行ける」という案内を見つけたんです。詳しく見てみると、有志でシリコンバレーに行く企画でした。企画の中心にいたのは、台湾出身で九州大学を卒業し、アメリカでIT企業を立ち上げてニューヨーク証券取引所上場まで果たしたロバート・ファンという方でした。
彼には「日本人は非常に優秀だが、必ずしも海外での競争に勝てているわけではない。それは、アントレプレナーシップ(※)教育が足りないからではないか。だからシリコンバレーで、アントレプレナーシップを学ぶべきだ」という想いがあったそうで、それが企画の背景でした。募集を見て純粋におもしろそうだと感じ、応募してみることにしたんです。
(※)アントレプレナーシップ:「起業家精神」と訳されることが多い。自ら課題を見つけ、リスクを取り、新しい価値や事業を生み出していく姿勢や能力のこと。
─────魅力的な募集ですね。シリコンバレーでは具体的にどのようなことを学んだのでしょうか?
2週間ほどの滞在期間のなかで、さまざまなプログラムがありました。たとえば、スタンフォード大学の関係者やGoogleのようなテック企業で働く人たちとのディスカッション、著名なテクノロジー関連の書籍を執筆された方との面談や大学発ベンチャーに挑戦している方との出会いなどさまざまです。
当時の私は、「大企業に就職して安定的な仕事に就くことが成功した人生」だと思っていました。在籍していた九州大学の場合だと、卒業後は九州の大手メーカーやインフラ企業に就職するケースが多かったですし、誤解を恐れずに言えば「そういうキャリアの選び方が普通だよね」という考えがありました。
しかし、シリコンバレーで出会った人たちは「自分はこれをしたい」「世界をこのように変えたい」という強烈な意志を持っていて、非常に刺激を受けました。そして、私の中にも「いつかは自分なりのテーマを見つけ、自分だけの人生を生きたい」という気持ちが芽生えてきたんです。これが起業に向けた原点になっています。
─────強烈な刺激を受けて帰国した後は、そのまま社会に出られたのでしょうか?
就職はせず、もともと決まっていた内定は辞退しました。振り返ってみると、就職活動も受験勉強と同じような感覚でやっていたからです。
要するに、「内定を獲得する」というゴールを決め、企業が学生に対してどのような要素や振る舞いを求めているのかを理解し、その上で「選考の際に必要なことはこれ」と逆算して内定を獲得していました。しかし、シリコンバレーで「自分のやりたいこと」に正面から向き合っている人たちとたくさん出会ったことで、私自身の進路の決め方に疑問を持つようになりました。彼らのように、自分の意志に素直に生きていきたいと強く思ったんです。
「自分の中にある情熱や興味関心は何だろう?」と考え直したときに出てきたのが、ずっと打ち込んできたバスケットボールやスポーツでした。バスケを仕事にして生活していくのは現実的ではなかったものの、本当に好きで、情熱が注げる領域に触れていたいという想いが勝ちました。

結果として就職を取りやめ、京都大学大学院に進学することにしました。大学院ではスポーツ医学や運動生理学といった分野を学び、その後は社会に出て実力をつけようと考え、就職することにしました。
─────24歳でファーストキャリアとしてP&Gに入社され、28歳で博報堂コンサルティングに転職されたとお聞きしました。2社の経験の中で特に印象に残っている学びや現在の仕事にも活きているものがあれば教えてください。
そうですね。まずファーストキャリアであるP&Gでは、最初の上司から大切なことを教わりました。非常に優秀な方で、P&Gのような大きな組織でプロジェクトを動かし、成果を出すためにはどうするべきかを教えてくださったんです。
最大のポイントは「リソースをどう配分するか」でした。具体的には、「時間・人数・工数」という3つのリソースをどのように組み合わせるかです。
たとえば、使える「時間」を急に増やすことはできませんし、「人数」をいきなり増やすことも難しい。そうなると「工数」をいかに減らすかが成果を出すための重要な論点になります。限られたリソースの中で成果を出し続けるためには、これら3つのバランスを常に客観的に捉え、調整し続けることが何よりも大切だと叩き込まれました。
─────なるほど。セカンドキャリアの博報堂コンサルティングではいかがでしたか?
博報堂コンサルティングではある種のカルチャーショックを受けました。P&Gでは、「誰が言うかよりも何を言うか」が重要視される文化がありました。そのため、転職した当時は、役職や立場に関係なく、議題に対してどうあるべきかというロジックを戦わせることが大切だと思っていました。
ところが、現場で最初に言われたことは「いやいや、何を言うかより、誰が言うかが大切だから」ということでした。
─────考えていたことと真逆ですね。
最初は戸惑いましたが、理由を考えれば納得ができました。コンサルタントが対峙するのは、クライアント企業が重大な意思決定をする場です。重視すべきゴールは、「その議論をどう前に進めるか」であり、「組織を実際に動かすこと」なんです。
どれだけ正しい意見であったとしても、発言力や信頼のない人が言っても、組織は動かないことってありますよね。それよりも「誰に任せるか」「誰がボールを持つのか」という実行主体の存在こそが、成果を出すにあたって決定的な影響力を持ちます。だからこそ、「誰が言うか」をしっかりと設計し、考慮する必要があるということだったんです。
P&Gでは、ロジックは物事を前に動かすためのものでした。一方、博報堂コンサルティングでは、物事の正しさを証明し、相手に納得してもらうためのものでした。同じロジックでも、何を目的に使うのかによって役割は変わります。
実業において大切なのは、間違いのない完璧なロジックを組み立てることだけではなく、人を納得させ、組織を前に進めるためにロジックを使うことだと学びました。この経験は、今の会社経営にも大きく活きています。

─────2社を経験した後、30歳のときに株式会社クアンドを起業されました。同時に家業の取締役にも就任されるわけですが、きっかけや当時の心境についても教えてください。
実を言うと、もともと「絶対に起業するぞ」という強い気持ちがあったわけではありません。当時は、起業を学校の勉強と同じように捉えていたところがあったんです。
国語や理科、社会、英語を学ぶのと同じように、営業、生産、ファイナンス、人事といった経営要素をひとつずつ学んでいけば、良い起業家になれるのではないかと考えていました。
しかし、実際にいろいろな起業家の方や先輩方に話を聞いていくうちに、「起業というのは単純な知識の積み上げではない」と気づかされました。「まずはやってみる」という行動力や、その源泉になる「こういう世界がつくりたい!」といった強い想いこそが重要なのだとわかってきたんです。
成功するかどうかわからないけれどチャレンジしてみようと考えたときに、「30代であれば万が一うまくいかなかったとしても、まだやり直せる」と思いました。信頼する大学の先輩方に相談したときも、「やるなら絶対に早いほうがいい」とアドバイスをいただきました。その言葉に背中を押され、起業を決意したんです。
─────起業とともに家業の取締役に就任されたのは、ご実家からの強い要請があったのでしょうか?
いえ、実家から強く頼まれたという話ではありません。勢いよく自分の会社をつくったものの、ビジネスモデルが決まっていませんでした。つくりたての小さな会社ですから、仕事も、売上もありません。「さて、どうしようか」と考えたときに、「時間もあるから家業の手伝いでもしよう」ということで、実家の建設会社の取締役に就任したという流れです。
─────先に「会社」という箱をつくり、事業内容は後から考えたということですね。そもそもの「何をやりたいか」というご自身の想いの部分はどうだったのでしょうか?
「地方にあるレガシーな産業を、テクノロジーの力でアップデートしていく。そんな仕事がしたい」という想いがありました。
クアンドは私とエンジニアの仲間との共同創業の会社なのですが、彼は大学時代に一緒にシリコンバレーに行った同期だったんです。シリコンバレーでアントレプレナーシップを学び、社会に出ていろいろな業界や会社のことを知り、改めて「自分たちは何がしたいのか」を考えたときに、「地方やレガシーな産業の役に立ちたい」というのが共通の想いでした。
もちろん、起業当時、具体的なプロダクトのアイデアや顧客の見込みはなく、ゼロからのスタートでした。

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